思春期、反抗期、中二病、パパとの別れ
今でこそ買い物行ったり食事に行ったり
仲良しの私と娘なのですが、
娘は中2くらいから、甘えっ子の片鱗がみじんもなく反抗がヒートアップして、悩ましい日々を送っていました。
躁うつの躁がひどい暴君でオレ様の主人とは一触即発しそうな雰囲気が常にあって、私は双方に気を遣っていつも疲れていました。
徹底的に管理したがる主人、主人に合わせる私、そんな私を見てイラつく娘、イラつく娘の機嫌を伺う私、
最悪の負のループの中で、もがいて生活していました。
些細な事でキレてつっかかる娘とは何度泣きながら言い合った事でしょう。
主人もキレて怒鳴って近所から通報されて5人も警察官がドタドタ家の中に入って来た事もありました😅
「ママ大好き!」
だったのがいきなり「消えて!」
と言われ続け、中学の時は中二からは体育祭や文化祭等学校行事には1度も行きませんでした。
学校に顔を出すなと言われて、結局卒業式も行きませんでした😢
そんなクソ生意気な状態でも不登校にはならず、朝起きれないと半ギレしながら走って学校に行っていました。
幼少から続けているバレエもやめることはしませんでした👏
でも、自分の苛立ちに自分で戸惑って不安になり、泣きながら、「ママ病院に行きたい、イライラする」といって自分から思春期外来に行きたいと言った事もありました。
血液取ったり🩸血圧測ったり、、、
発達検査したり、色々調べてもらいました。
物心ついた頃から、聞き分けが良くて賢くてママ大好きな娘の突然の変わりように動揺してしまいました。
でも、思い当たる節は色々あるのです。
小さい時から色々と我慢してたのかなと思いました、、
上の息子には発達に偏りがあって保育園の時から療育に通っていて私の関心が息子の方ばかり向いていました。
なので、
娘が小さい頃は主人が娘の面倒や遊び相手になっていました。
娘もパパと遊ぶのが大好きでした
私は、
娘がとても聞き分けが良かったので、
娘の賢さに甘えてしまいました。
自我が芽生えて自立しようとする成長の時、自分が抱えていたジレンマが爆発して消火出来なかったのかもしれません。
私にも主人にも、素直になれない時期がまだ続いてる最中のコロナ禍。
躁状態の主人がどんどん鬱になって、入院してしまった時は、時すでに遅しでした、、
仲良くなるタイミングを逃したまま、パパは逝ってしまいました。
たわいない会話をする事もなく、
「さよなら」してしまうのです。
主人の亡き骸を見て、娘は、「パパごめんね、パパごめんね、」とずっと叫んでいました。
娘の心情を思うと心が張り裂けそうでした。
なんとか仕事復帰はしたけれど
連日の雨降りで秋の深まりが身にしみる
今日この頃、、🍂
先日はあまりの寒さで真冬の格好で出勤しました。
2匹のネコちゃん達は私の布団に入ってきて人間とネコの3人でキツキツで寝ています😂
特に黒猫のあんこちゃんは私の胸の位置で寝るものだから、金縛りの様な息苦しさを感じて起きてしまう始末です😅
最近は空も曇天でどんよりしているせいか頭も回らず、気分も晴れずペンも進みません、、
主人の事も思い出すのは、
何故か辛かった事ばかり、、
昨日は娘と生前の主人の愚行を思い出しながら、なんであんな事したんだろうね、、等々ぼやいていました。
そして、娘からは、自殺するなんて最悪だよね、、とも、、
病気による自死なのに、死んでもまだ家族に愚痴られて、気の毒な、だんなさん、、
ごめんね、
でも、こんな時もあります。
これが、現実、、、
私は主人の自死のショックで2ヶ月近く仕事を休職してしまいました。規模の大きい会社で人数も多いのですがみんな顔見知りなので、私の休職と休職の理由は社員全員の知るところとなりました。
それぞれの反応は私には伺い知れませんが、びっくりしたのは確実です。
隠すつもりはなかったし、皆んなが知った事で肩に力も入らず、復帰の時も気持ちが楽だったように思います。
会話の中で主人の事も普通に話せたし、無理に隠すのはやめようと思いました。
ただ、無粋なタイプやおしゃべりな友人には距離を置いて関わらないようにしました。
自死のショックによる混乱から平静を取り戻して、仕事復帰するにあたり、自分で自分に言い聞かせた事があります。
⚪︎常にフラットに、 ⚪︎平常心
⚪︎思い出したら受け入れてすぐに流す
⚪︎仕事は淡々と、
⚪︎暗くなく明るくなく ⚪︎自分は不幸ではない
箇条書きにして、キッチンの所に貼っていつも声に出していました。
仕事はミスが許されません。雑念は禁物です。
常にフラットに淡々とこなしたい、正確に終わらせてさっさと早く家に帰りたい、
そう思って復帰後は毎日頑張っていました。
「仕事を持つ」って、自分を律する事なんだなぁって、、
大変でしたが仕事があったおかげで、自分は乗り越えられたような気がします。
しかし、それは私だけの事なのですが、、
思春期反抗期の年頃の娘と、主人に似てしまった息子のメンタルは予想外の反応で後々悩まされていくのです
必然の出来事から学ぶこと、、
先日、やっとお墓参りに行ってきました。
主人の地元の霊園にお墓を建てたので、お墓参りも1日がかりです。
片道、電車とタクシーを使って数時間。日帰り旅行のようなものです。
帰りはいつも駅近のレストランで1人ランチ&グラスワインを飲んで帰ります☺️
お墓には、友人が供えたであろう、主人の好きなコーヒー缶が数本置いてありました。
ありがたいなぁー^_^
主人には地元で定期的に遊ぶ友達が数人いて私も含めてBBQや飲み会、旅行など、いつも楽しくやっていました。
葬儀の時もコロナの中みんな集まって送ってくれました。
30年以上付き合いの仲間たちは誰一人として主人の病気を知りませんでした。
なので、主人の自死には、驚きと戸惑いを隠せないようでした。
私から話すこともしなかったし、、
時々テンション高くてやばい時もあったけど、誰も気づかなかったのかなぁ、、
仕事辞めた事も誰も知らなかったし、
大人になってからは、ある程度の距離を置いて付き合っていたんだなぁと思いました。
お墓に着くまでの間、電車の中で死後の事を書いた書籍を読んでいました。
江原啓之さんやシルバーバーチなど、他にも色々読みましたが、私には理解できても納得できない記述もあったり、、
何冊読んでもよくわからないです。
でも、また買ってしまう😓
宗教にもよりますが、自殺者は罪であるとか、霊界に行けず彷徨うとか、やはり死んでも尚否定される事が多いと感じます。
私は無宗教ですが、主人は向こうの世界では軽やかになっていると信じています。
自死にも段階があり理由はさまざまです。
主人は長きに渡り心の病気に苦しみ
生きて成長するプログラムが誤作動を起こしてしまった。
そう思っています。
罪とか言われたら可哀想すぎる🥲
向こうの世界では心軽やかに過ごしていると、
そう信じています。
そして残された私達は、この出来事から何を学ぶのか考えなくてなりません。
彼の死を無駄にしないためにも、考えて、想い続けたいと思っています。
この不幸と思える出来事から、私自身は、悲しいかな、考え方も見方も変わり感謝する事も増えたように思います。
些細な日常が奇跡なのですから、
昨日読んだ本の一節に、
「人の生き死にを見るという事、見なけれならないことは、みずからの魂の学びとして必要である、
みずからの目に映る一切はみずからへの助言であるととらえよ、
人は必要なき事を目にする事はない、
なぜならば、すべて必然であるからである。」
私に起こった出来事が必然であるならば、
私はそこから何かを学び何かを還元しなくてはならない、
そう思うのです、
自分にしかできない何か、
それを
今探している途中です。
コロナの猛威がメンタルに与えたもの
金木犀の爽やかな香りが漂い始め、
秋の訪れを感じる季節となりました🍁
先月のお彼岸にはお墓参りに行けなかったので今月にはお墓参りに行きたいなぁと思っています。
今まで毎月行ってたのに9月だけは行けなかった、
お彼岸なのに、、
パパごめんなさい💦
主人が逝ってから早くも2年半、
あっという間でした。
たまたまですが、主人の四十九日と100日法要の同じ日に役者の方が自死してしまいました。
お二人とも名の知れた役者さんでしたので芸能界は激震だったと思います。
主人の法要の日と重なったのでインパクト強すぎて何の因果なのだろうかと不思議な気持ちにもなりました。
ただ偶然が重なっただけだと思いますが、、💧
突然に、得体の知れないウイルスで全人類を不安と恐怖に陥れた、
「コロナ」、、、
日常生活は制限され、自粛生活でストレスや孤立感が深まって、心を病んだ人は増え、病んでいる人は悪化しました。
実際に主人はごろごろと坂道を転がるように悪化していきました。
社会全体が恐怖と不安に脅かされて、
常に除菌を強いられて、、
不安障害や強迫性障害を持っている方にはきつい事でしょう
その辛さは尋常ではないはず、
そして、
いつも感性が研ぎ澄まされ、自分を追い込むであろう役者の方や、芸能の方は孤独感や闇も深いのではないでしょうか、、
主人はコロナ禍に入ってからあれよあれよと廃人のようになっていきました。
漠然とした不安感の中、主人のメンタルは自分ではコントロール出来ないほどグラグラしていました。
目が離せないような危うさでした。
しばらく躁状態だったのに、一気に鬱状態になって恐怖すら感じました。
入院時に主治医からは統合失調症と躁うつの傾向が強いと言われ、
元のご主人に戻しましょう、戻します!と力強く言われました。
そして、
元々のご主人の性格はどんな方でしたか?
と聞かれました。
どんな性格って、、
すぐに言葉が出てきませんでした。
メンタルの波が激しくて普通の状態が少なかったので元々の主人の性格がすぐに説明出来ませんでした。
素の主人は穏やかでおとなしい人だったはずなのですが、、
どんな性格なのかよくわからなくなっていました。
それくらい、
彼の病気は厄介で複雑なのでした。
そして
結婚してから長年患ってくすぶっていたこの病いは、コロナの猛威にはひとたまりもありませんでした。
主人はあっという間に
この世からいなくなってしまいました。
しかも退院の翌々日に、、
本当に、、本当に、
すべての人がこの不安な状態から早く解放されて
心も体も健やかに、
安心して暮らせる世の中になって欲しい。
切実に思うのです。
人生で起こる事すべてに意味がある
主人が逝ってからの事に時間を戻します。
主人は自死により向こうの世界に行ってしまいました。
主人が逝ってしばらくは、ひたすら、ぼーと過ごしていました。仕事を休職したので、子供たちを送り出したら何もしないで自分を休めていたように思います。
体は休めても頭の中はグルグルと色々な事を考えてしまい、しばらく倦怠感をまとっていました。
朝にはお坊さんにすすめられた般若心経と光明真言を唱えて主人の成仏を祈りました。
主人のために唱えたお経ですが、いつの間にか自分が落ち着くために唱えていたように思います。
しばらくはふわふわと現実感がなく、心が落ち着かなくて、
#自死遺族#のTwitterを覗いたり、ネット検索したり、色々な本をむさぼり読みました。
宗教本、スピリチュアル、自己啓発、死後世界等、自分にしっくりくる言葉を探していたように思います。
自分で気に入った言葉は紙に書いて、常に目に見えるところに貼って、自分を励ましていました。
「道元、禅の言葉」では、(境野勝悟著)
『変化を恐れない』 『見方を変える』
『理屈から離れてみる』 『一歩引いて見つめる』
『今に満足する』 『まわりのすべてに感謝する』
『自分の気づきを大切にする』
等々、自分の心に響く言葉を白紙に書いて貼っていました。
ある書籍の一節の
幸運に見える出来事だけでなく、不運に見える出来事も含め大いなる何かの導きである。
人生で起こる事すべてに深い意味がある。
という言葉にも救われました。
田坂広志著 『すべては導かれている』
人生のどんな出来事に対しても、この出来事は深い意味がある、
これは何かの導きなのだ!と覚悟を定めると、不安や恐怖から解き放たれるのだそうです。
この苦労やこの不幸が自分に何を教えようとしているのか、、
それを感じ取る解釈力が大切なのだそうです。
私は、自分の不運や苦しみには、大きな意味があって、この苦しみが私に何を育てようとしているのか、それを感じ取って私が見方を変えて生きていかなくてはならないと、、、
きれいごとではなく、そう思えてきました。
悲観しないように生きようと思いました。
この不幸と思える出来事、苦労、苦しみを無駄にしないよう丁寧に生きて行く事で、
主人の魂が安らぎ、そして自分が強くなれるのではないか、、
そう思えて、
少しだけ前を向けたのです。
何か気づきにも似たような、
それからはだんだんと自然と笑顔も出せるようになってきました。
すべては導かれている、、、
なんとなく強くなれました。
毎日の些細な日常が奇跡だと思うのです
今日から再びの連休で、気持ちがゆったりしています。
今日は何をして過ごそうか、録画したドラマを見ようかな、Netflixで映画を見ようかな、
何をしようかなぁと、考えるだけで楽しい気持ちになります。
そんな時でも、ふと、主人と一緒ににいた時の事がよみがえります。
色々と、大変な事が多かったのに、楽しかった事しか思い出せません。
一緒に食べた〇〇のケーキ美味しかったなぁ♪ とか、、
日帰り温泉、楽しかったなぁ、
いつも行ってたイタリアンのお店美味しかったなぁとか、、、
些細な日常が思い出されて、
胸がギュッとなります( ; ; )
今週は通勤の時、電車の中で
ずっとサザンの曲を聴いていました♪
やっぱ、サザンを聴くと気持ちが上がります。
世代のせいかな、、(笑)
毎日お気に入りアーティストの曲を聞きながら通勤しています。
先日はうっかり乗り過ごしてしまいました😅
昨日は「逢いたい時に君はここにいない」の曲が流れました。(1998年)
「 ♪ 逢いたくなった時に君はここにいない、
二度と帰らない♪ 」
のフレーズでは、自然と涙が溢れました。
あの日の日常は二度と帰らないのだなぁと、、
実感しています、、
そして、
些細な当たり前の日常が
奇跡なのだと✨
そう思うのです
自死ではなく病死だと思うのです
退院して2日後に主人は自ら、向こうの世界に逝ってしまいました。
これは現実なのだろうか、、❔
冷たくなった主人と対面した時は、夢ではないだろうかと本気で思いました。
あまりの衝撃で感情がフリーズして泣く事も出来ませんでした。
これは現実なのだ、、、
無理矢理自覚するにつれ、
私のせいだ!私のせいだ!とリフレインしていました。
主人を生かしてあげる事ができませんでした。
心なし、微笑んで見えるその亡骸に向かって、自分自身の無力さと後悔で、「ごめんね」としか言えませんでした。
反抗期だった子供たちは、泣きながら「パパごめん、パパごめん」と連呼していました。
どんなに声をかけてもパパは起きません。
パパとの生活は戻ってこないのです。
葬儀が終わり緊張感から解放されて主人の事だけを考えて過ごしました。
考えれば考えるほど、自分が主人を逝かせてしまったという自責の念と喪失感でますます感情が動かなくなりました。
食事もとれず、
眠る事も出来ません。
子供たちとの生活もあるので、メンタルの薬を服用してやり過ごしました。
仕事も休職しました。
入院させなければ良かったのではないか、、別の方法があったのではないだろうか、
そうしたら、主人は生きていたかもしれない。
自分ばかり責めていました。
私は主人のメンタルの変化に対して見極めが甘く判断が誤りがちでした。
主人が、「生きててもしょうがない、、」という希死念慮と思われる状態に対して逃げ腰になって、すぐに「入院」という選択をしてしまいました。
本人の意思を尊重せずに、、、
私は入院させれば、どうにかなるだろうと安直に考えてしまいました。
愚かでした。
うつ病や双極性障害が重症化すると、希死念慮や、自殺念慮、に、取り憑かれる事があります。
希死念慮→自殺念慮は段階がありますが、症状が重くなるとゾーンに入ってしまい、死ぬしかない!と思ってしまいます。
ここまでくると、家族の愛情や、励ましとか通用しません。
生きたい思いと相反して、死ねば楽になる、死ぬしかない、という思いに満たされてしまいます。
これは病気がさせている事なので、病気によって死んでしまったと言っても過言ではないかもしれません。
「自死は悪い事」と言われますが、この病気で亡くなった人には気の毒な言葉だと思います。
主人の場合は病気によって自死せざるなかった、、
病死だと思っています。
そして思うのです。
本当に辛かっただろうなぁって、、
生きたかったのに、生きる選択を選べなかった、、
パパの苦しみ、、、哀しみは、、
とても深かったと