必然の出来事から学ぶこと、、
先日、やっとお墓参りに行ってきました。
主人の地元の霊園にお墓を建てたので、お墓参りも1日がかりです。
片道、電車とタクシーを使って数時間。日帰り旅行のようなものです。
帰りはいつも駅近のレストランで1人ランチ&グラスワインを飲んで帰ります☺️
お墓には、友人が供えたであろう、主人の好きなコーヒー缶が数本置いてありました。
ありがたいなぁー^_^
主人には地元で定期的に遊ぶ友達が数人いて私も含めてBBQや飲み会、旅行など、いつも楽しくやっていました。
葬儀の時もコロナの中みんな集まって送ってくれました。
30年以上付き合いの仲間たちは誰一人として主人の病気を知りませんでした。
なので、主人の自死には、驚きと戸惑いを隠せないようでした。
私から話すこともしなかったし、、
時々テンション高くてやばい時もあったけど、誰も気づかなかったのかなぁ、、
仕事辞めた事も誰も知らなかったし、
大人になってからは、ある程度の距離を置いて付き合っていたんだなぁと思いました。
お墓に着くまでの間、電車の中で死後の事を書いた書籍を読んでいました。
江原啓之さんやシルバーバーチなど、他にも色々読みましたが、私には理解できても納得できない記述もあったり、、
何冊読んでもよくわからないです。
でも、また買ってしまう😓
宗教にもよりますが、自殺者は罪であるとか、霊界に行けず彷徨うとか、やはり死んでも尚否定される事が多いと感じます。
私は無宗教ですが、主人は向こうの世界では軽やかになっていると信じています。
自死にも段階があり理由はさまざまです。
主人は長きに渡り心の病気に苦しみ
生きて成長するプログラムが誤作動を起こしてしまった。
そう思っています。
罪とか言われたら可哀想すぎる🥲
向こうの世界では心軽やかに過ごしていると、
そう信じています。
そして残された私達は、この出来事から何を学ぶのか考えなくてなりません。
彼の死を無駄にしないためにも、考えて、想い続けたいと思っています。
この不幸と思える出来事から、私自身は、悲しいかな、考え方も見方も変わり感謝する事も増えたように思います。
些細な日常が奇跡なのですから、
昨日読んだ本の一節に、
「人の生き死にを見るという事、見なけれならないことは、みずからの魂の学びとして必要である、
みずからの目に映る一切はみずからへの助言であるととらえよ、
人は必要なき事を目にする事はない、
なぜならば、すべて必然であるからである。」
私に起こった出来事が必然であるならば、
私はそこから何かを学び何かを還元しなくてはならない、
そう思うのです、
自分にしかできない何か、
それを
今探している途中です。