更年期と五十肩と付き合ってます
今日は仕事が休みで、五十肩のリハビリに行ってきました。
2年前に右肩を五十肩で痛めて相当苦しんで、やっと落ち着いたと思ったら今年の春に左肩が再びの五十肩。もう泣きたい気持ちでした。
痛みに弱い私は、整形外科を4箇所も周り、評判が良い整骨院を探してはあちこち通って、病院、鍼、整骨院を迷走して1人でハアハアしていたように思います。
夜間痛がひどかった時は、睡眠不足で疲労感がいつもあって朝も起きるのがとにかくつらかったです。
体が重くて駅の階段を登ると息切れが💦
疲れと倦怠感でいっぱいでした。
毎日満身創痍で仕事をなんとかやって、子供らには手抜きの食事を与えて後は死んだように横になる。
そんな毎日です。
五十肩は個人差があると思いますが、痛みで何も出来なくなる人もいるようです。
痛みをどうにかしたくて疼痛専門の病院を探しまわりどうにか今の疼痛内科に辿りついて少しずつ痛みも和らいできました。
尿と血液検査の結果ではリウマチの数値がとても高かったのでだるかったのは無理もありません。
とりあえず、今は疼痛内科でもらった薬と、肩のステロイド注射💉、リハビリでなんとか落ち着いた生活に戻りつつあります。
更年期不調もあるけど、そんなこんなで、旦那さんのお墓にもあまり行けなかったです。
暑さが落ち着いたら、お墓参りに行かなくちゃ。
今読んでる本、「すべては良きことのために」は読み直しなのですが、色んな辛いこと、思わぬ出来事は全ては良きことのために起こっているのだそうです。
辛い事も現状を受け入れて感謝して生きていこうと思っています
ミディアムシップ(霊界通信)で感じた事
先日霊界と交信するミディアムシップのデモンストレーションに参加しました。
霊界交信に興味のある人向けのzoom参加で私は2ヶ月連続で申し込んでしまいました。
無料なので、誰の魂が来るかわからないけど、運良くパパ(主人)がきてくれたら嬉しいなあと思って参加してみました。
1回目は参加人数が多くて、私の縁者は来てくれませんでしたが2回目は、人数が少なかったので主人の魂がきてくれて、短い時間ですがメッセージをもらえたので嬉しかったです。
実は主催者のミディアムシップの方には、2年前の主人が亡くなった時に個人的にリーディングしてもらって、的中率やそのお人柄にも信頼を寄せていたので無料のデモンストレーションをやるって知って、すぐに飛びつきました😅
ミディアムとは亡くなった方の魂の意識を感じる事が出来、故人からのメッセージを受け取り伝えてくれる日本で言う所の霊媒の様なものです。
海外、、特にイギリスでは歴史あるミディアムシップの学校もあるし、ミディアムの意識も高くて日本より浸透していて、
しかも尊重されています。
2年前に初めてミディアムシップをお願いした時、私は主人を亡くした喪失感からどうしても主人に会いたくなって霊界交信できる人を探していたところ、ミディアムのよねひろさんに辿り着いてリーディングしてもらいました。
何も情報を伝えてないのに、主人や私だけが知りうる事や主人が抱えていた悩みなどを伝えてくれて、しかも死んだ時の場所、様子なども具体的で本当に驚きました。
科学では証明できない事、目に見えないけど確実に存在するもの、
魂の存在をしっかりと感じる事が出来ました。
特に、無類の釣好きな事や、犬の事、娘の事、実の親との確執など、細部まで伝えて来た時はちょっと震えました。
でもミディアムのよねひろさんが、とても素朴で朴訥なものの言い方をする方なので、不思議な安心感がありました。
心の重い塊が軽くなって、少なからず救われた思いがして私はやって良かったと思いました。
先日のデモンストレーションでは、私のメンタルの心配や娘の心配、家族とのコミニケーションをおろそかにした事の後悔などを伝えてきました。
自分は目の前にはいないけど私が空を見上げて思いを馳せた時は必ず近くにいて見守っているからと言ってくれました。
ミディアムの方に雪の情景を見せて、雪が降って落ちて消えても自分の魂は消える事なく、近くにいることをわかって欲しいと言われました。
パパがいつも私の近くにいて見守ってくれている。
目に見えないけど、
向こうの世界で私を待っててくれてる、と思うと死は怖くないなと思っています。
自分が死を迎えるその日まで、毎日を丁寧に楽しく生きていきたい、
そんな風に思っています。
中今を意識して人生を好転させよう
今日は祝日で仕事がお休みだったので、月一のカラーリングのためカラー専門店に行ってきました。
私が通ってるカラー専門店は、住んでる駅から15駅くらい先の駅前にあります。
カラーが終わったらぶらぶら買い物したり食事してゆっくり各駅電車で帰ってくるのが気晴らしであり楽しみのひとつです。
離れた駅の方が知り合いに会う事もないし気楽なのです。
今日はランチセットでホタテ入りのペペロンチーノとスパークリングワインを飲んできました🍴
ワインがグラスに並々に注いであって飲みごたえもあって満足なランチでした🍷
周りを見渡すと私と同年代の夫婦が2人してランチしていて、昔は私もそうだったなぁと少し羨ましい気持ちになったりもしたけど、淋しくはありませんでした。
1人には1人の楽しさもありそれもまた良きだなぁと思うようになりました。
帰りはクイーンズ伊勢丹で牡蠣フライ、帆立フライ、牡蠣のグラタンとご当地焼きそばを買って帰りました。
今日の夕飯にしちゃおうっと!
電車の中では、矢作直樹さんの本「神様からのおたより」を読んで帰りました。
「中今」を意識して生きる事、今、この瞬間に集中して感謝して生きることの大切さが書いてありました。
「中今」を意識していると神様からのおたよりに気がつきやすくなるそうです。虹がでたり🌈急に雨が止んだり、動物や虫が寄ってきたり、変化のサインが受け取りやすくなるそうです。
人生も好転するそうです。
私は図らずも今このような状況になってしまったけど、今、この時、生きてる事に感謝して自分自身の今を愉しもうと思いました。
こんな風に思えるまでに自分が変われるなんて、2年前は考えられなかったけど、どんな苦労も経験も受け止め方や考え方次第で前向きにも後ろ向きにもなるものだ思いました。
一度きりの人生、
私は前向きに生きて行きたい。
息子がメンタル不調になった理由(わけ)
最近になって、息子のメンタルが不調な事や、
義母が何度目かの入院になったりと、気持ちがザワザワして、ブログを書く気になれませんでした。
今日も今ひとつ気力なしの私なのですが、息子が少し元気になってきて、自分でチャーハン作って食べてる様子を見てたら、ちょっと安堵して、どうにかペンを進ませています。
先日息子が暗い顔で、「生きてる意味がわからない」と言い出して、、
ビビリの母さんは焦ってしまいました。
先月一人で私の東北の実家までおばあちゃんに会いに夜行バスで向かったのだけど、深夜のバスがよくなかったのかバスの中で急に物悲しくなって涙が溢れてしかたなかったそうです。
帰ってきてからも、「どうして生きているのだろう」「無機質な毎日で何も楽しくない」「僕は何ものでもない」このまま「無」になりたい、
と言い出して、、💦
私は主人が弱っていた時に、
「生きてる意味がわからない」と
同じ事を言ってた事を思い出して、
やはり遺伝なのかなって恐ろしい気持ちになりました。
息子を連れ出して、喫茶店で色々と話をしたら、どうも今通っている就労支援センターがあまり合わない事がわかりました。
あそこに行っていると、無機質な空間で何も喋らず、笑う事もなくて、
希望がないと、、話し始めました。
就労支援センターとは、発達障害や精神疾患、身体障害者などが自立して就労する為に行政と連携して就労希望者の支援を無償でしてくれるありがたい所です。
全国に色々と似た様な支援センターがあって、そこでは障害等のある方々が自立して安定した仕事を送れる様に指導支援してもらえます。
そんなありがたいところに行くのが
鬱になりそうなくらい息子は苦痛らしくて、、
母さんは困ってしまいました。
でも、無理してまで行くのは良しとしないので、ゆっくり休ませる事にして気分転換をいっぱいさせる事にしました。
息子の通っている支援センターの会社の方針は、私語禁止、友達を作ってはいけない、ライン交換をしてはいけないという決まりがあって、それなのに息子は初日に女の子にLINE交換を申し出てしまった事で問題視されました。
LINEもブロックされたそうです。
発達障害者は人間関係の構築が下手なので余計な事をして問題になったら困るので友達を作るとかNGなんだそう。
彼としては、健常者なら普通の行為なのに問題視されてしまった事でアイデンティティが失われてしまったような悲しさがあったようです。
息子は、
「どうして生まれてしまったのかな、、」
「社会に適応出来るのかな、」
「お父さんみたいに早死にするのかな、、」
等々、
鬱っぽい事ばかりポツリポツリつぶやきます。
ああ、病んでるわ、、、>_<
私はこんな風に産んでしまって
「ごめん」、、、としか言えません( ; ; )
息子は記憶力が良すぎて過去の事を事細かく覚えていて、辛い気持ちを引きづりやすい。
空気も読めて、
普通の感覚も持っている。
だから、生きづらさを感じやすいのだと思うの
ですが、、、
本当に、「ごめんね」、、
としか言えません、
今は多様性の時代だから性差別も前よりなくなりLGBTや発達障害の人でも自信持って生きて行ける時代になってきているから悲観しなくていいよって、
偏見もほとんどなくなる社会になるはずだからって、息子と話しました。
今通ってる所もしばらく休んで、本当に嫌なら辞めてもいいよって伝えました。
息子は、うん、うん、って、、
相槌をうちながら聞いてくれました。
私と話しあえた事で気持ちがほぐれたのか、心なしスッキリしたような顔になってきました。
支援センターを数日休んだら、気持ちの落ち込みもなくなってきて自分から料理を作り出したので少しホッとしました。
旦那しかり、娘しかり、息子と、
いつも、色々と、
心配は尽きない母なのでありました😓
生きづらさを抱えている人が社会に適応できる環境が更に整うことを願うばかりです。
長男の回顧録(息子が言葉を発してくれた時の決意)
主人の病気がそうさせているのかわからないのですが、息子が思い通りに成長しない事にいつも苛立っていました。
とにかく言葉が遅くて、意思疎通は出来なかったし、
水泳も、何年も後から入ってきた下の娘の方がクラスが上がっていくし、楽しませようと思ってどっか連れて行っても感覚過敏や触覚過敏で拒否されて遊ぼうとしないし、主人は、次第に娘だけを連れて遊びに行くようになりました。
娘と2人でディズニーランドに行ってディズニーランドホテルに泊まって2日連続のディズニーなんて事もありました🎃
息子は連れて行かれなくてちょっとかわいそう、、
なんて思う事もあったけど、、
その方が息子もほっとしていたし、
私は息子と2人で近くの公園をぶらぶら散歩したり、一緒に電車を見に行ったりしていました。
⚪︎⚪︎線8000系!とか、色んな型の電車を言い当てて、得意気になっていました^_^
帰りは遊歩道の両脇に植えてある一本一本の樹木を、桜!サルスベリ!けやき!と指を指して教えてくれました。
なかなか語彙が増えず、文章を話す事が出来ないのに物の名前はすぐに覚え高い記憶力を持っていて、
すごいなぁと感心したり、
でも話せないし、、と
心配したり悩んだり、
一喜一憂しながらいつも手を繋いで歩いていました。
障害児療育に抱っこ法というのがあるのですが、
心と体が触れ合う事で子供の本当の気持ちが表に出てきたり、問題行動がなくなったりと言うのがあります。、
ちょうど年長の頃です、
その療法をしてもらった帰り道に
「お母さん、お空が青くてキレイね!」
と言ってくれたことがありました。
全然文章を話せなかったのに、突然何語文か話したので、びっくりと感動で涙が出て止まらなかったことが思い出されます😭
主人の気分の波もあって、息子の事は私1人で抱えていましたけど、でも、不思議と辛くはなかったです。
もっと主人と息子の伸びしろを理解し合って喜びを共有したかったなと思います。
そしたら、息子の父親に対する気持ちも変わっていたかもしれません。
息子が言葉を話し始めて感動したとき時には、嬉しさと共に自分の内面から闘志が湧いてきて、もっと伸ばしてやるぞ!やってやるぞ!って
思って、
なんか、
腹を括ったというか、主人の事も息子の事も、どんな事も何があっても、
負けないぞー!💪
と気合いが入りました。
お父さんがいなくなってほっとしたと息子に言われて
紅葉が美しい季節になりました🍁
こんな時は、紅葉狩りに行くとか季節の醍醐味を味わいたい所ですが、なかなか1人で旅行に行くパワーがまだなくて、今は近所の葉っぱを見て秋の深まりを感じています🍂
もう少ししたら1人で行けるようになるのかな、
私は自死遺族です。
さまざまな思いが駆け巡り、自責と後悔と懺悔の日々でしたが、、
すべて受け入れ、自分に起こった出来事の意味を考えながら毎日猫ちゃん達にに癒されながら前向きに過ごしています🐈⬛
悲壮感は見せません、
現実を受け入れて腹を括って生きてます!
仕事も頑張っています!
壮絶反抗期だった娘はすっかり落ち着いて今は一緒に出かける事も多くなり、家では好きな男子の話で盛り上がり会話が弾みます。
現在予備校生で毎日受験勉強に精をだしています!
過ぎてみるとあの時期(反抗期)は悪夢を見ていたのでは、と思うほど、今はストンと落ち着きました。
同じくらいのお子様を持って悩んでいる方がいたらお話してあげたいくらいです。
悩んでいる時ほど、子供の事は放置して自分の好きな事をして過ごすのが良いかも、、です。
たぶん、中高生特有の複雑な悩みや、成長期のホルモンなどによる体の不安定さ、精神的な未熟さなど複合的人間絡み合ってあんなに辛辣で攻撃的で破壊的だったのかもしれません。
思春期=反抗期=イライラ期
いつか落ち着きます!
子育てで悩んでいる親御さん頑張って!
トンネルを抜けたなら青空が見えますよ🌈
娘はメンタルの不安定さから自分から心療内科に行きましたが、
ADHDかも、とか、不安障害かも、とか、傷が見えない分、色々と予測されて尚不安になったりして親子で迷走していました。
結局違ったのですが、、
父親が双極性障害なので何かしらの因子を継いでる可能性は否めません。
が、、
うちの場合は、息子に強く出てしまいました。
発達障害持ってます。
主治医からは主人も発達障害だっただろうと言われました。
現在大学生の息子は、
0歳から保育園に入っていたのですが、言葉も遅く、ごっこ遊びもしなくてひたすらレゴブロックを腹這いになって並べてじっーと見つめて遊んでいるような子供でした。
親の声かけが足りないと園長先生に言われて傷ついた事もありました😢
どんなに、一生懸命関わっても、
明らかに普通と違うので、年長の時から療育に通ってソーシャルトレーニングを受けていました。
特に他人を困らせる行動がなかったので、小学生の時は週一で言葉の教室に通っていました。
でも出来る事と出来ない事の差が激しくて発達がアンバランスで、まともに会話が出来る様になったのは小5くらいからです。
その頃から学力もついてきたので中学受験をして中高一貫校に通う事が出来ました。
しかし、
残念だったのは主人が発達障害を理解出来なくて息子に強く当たっていた事でした。
なかなか話せない息子の腹を蹴ったり当たり前の事が出来なくて殴ったり、、、私が盾になって必死で守って庇っていました。
主人とは息子の事でよくケンカしていました。
どんなに息子の障害の事を説明しても、なかなか理解してくれない主人に対してストレスを抱えていました。
カサンドラ状態でした。
息子は主人の顔色を伺うようになり、静かにして関わらないようにしていました。
そして、主人に対する憎しみみたいなものが小さい時からずっと心の中にあったみたいで苦しかったそうです。
今でも時々トラウマのように思い出して頭から離れなくなるようです。
そうゆう時は病院に行ってカウンセリングを受けています。
主人が亡くなる時、私と娘と息子と病院に駆けつけて死亡宣告された時、
息子が小さくガッツポーズをしているの私は見逃しませんでした。
そして、お父さんがいなくなってホッとしたと言われました。
何も言い返せませんでした。
後追いを心配していた娘
思春期や反抗期の揺れやすい時期に親を自死で失った子供の心情はどのようなものだったでしょう。
年ごろのお子様をお持ちの方はわかると思いますが、
この時期の子供は繊細で敏感で何を考えてるのかさっぱりわからなくて、
そして危うさを含んでいて、、、
悩ましくて、
揺れやすいこの時期に親を自死で失って、
子供達の心の中は大人の私には計り知れない衝撃と色々な思いがあったと思います。
子供達は見た目には思ったよりも感情的になることもなく、弔休後には普段通り過ごしていました。
でも、反抗期真っ只中の娘は内心かなり心乱れていました。
反抗期は成長の過程では自我意識が目覚めて誰もが通るものですが、その程度には個人差があります。
反抗期のない子もいるそうですが、うちの娘の場合は尋常ではなかったと思います。
とにかく娘そのものがナイフのようで、触れたら切れる、地雷踏んだら爆発する。
そんな感じです。
関わるのが大変でした🥲
機嫌とるのも疲れて途中からほぼ放置してました。
専門機関に相談したり、児童心理本を読んだり、かなり迷走していましたが
私には気休めにはなりましたがあまり意味を持ちませんでした。
基本、放置して、子供を受け入れるけど、子供には求めない!を徹底して好きなようにさせていました。
それでも突っかかってくる事もあったけど、、、
そこは忍耐です、、😣
しかし、些細な事ですぐキレる躁状態の主人がクレームを連発したり突飛な行動を起こした時期と重なっていた時期は、娘と衝突しておおごとになるのではないかと心落ち着かず悩みまくりました。
神も仏もないと思いました
結局、
この状態の延長上で主人の自死があったのでどん底まで落とされました、、、
パパごめんね、と何度も連呼していた娘ですが、弔休明けには普段通り登校してしっかりしたものでした。
しかし、時々血相を変えて家に戻ってきたり、時には学校の担任から私あてに電話が来る事がありました。
「〇〇さんが、ママが家にいるか心配だから家に電話して欲しいって言うものですから、お電話しました。すごくお母様の事気にしてるんですけど大丈夫ですか〜❔」なんて内容で、、、
娘の言うことを聞いて電話してくれて、、、
先生、、優しい、、
娘は、主人の死で私が後追いをするのではないか、そっちの方が心配で、
電車を途中下車して戻ってきたり、先生に頼んで私に電話させていたのです。
私が生きているのを確認して安心していたのです。
親に素直になれない時期に親が死んで、少なからず自分のせいで死なせてしまったかも、という後悔があの子の心の中にあったのでしょう。
苦しかったと思います。
同じ不幸を繰り返したくない、
ママまで失いたくない、
その気持ちが強くあったのだと思います。
とてつもない後悔と懺悔の気持ちを
揺れやすいこの時期に抱えてしまってかなり無理をさせてしまいました。
子供の心に負担をかけてはいけない!私がしっかりしなくては、守っていかなくては!
と思いました。
娘には「大丈夫だから、心配しなくていい!
ママは絶対死なないから!」
と宣言しました。
ママも一緒だし、大丈夫だから、、!
と伝えました。
色々な後悔はこれからもこの先もたくさん持つようになるけど、そこで心をすり減らす必要はないと思いました。
後悔や懺悔を抱えながら生きていくのが人生なのだ。
後悔しても振り返らない、自分を責めることをしない。
心の中で強く宣言しました、
どんな重い出来事も、背負った心の荷物は軽く出来る、
それも自分次第なのだ。
そう思って、
子供のためにも自分のためにも
前を向いて生きる覚悟を決めたのです。