自死ではなく病死だと思うのです
退院して2日後に主人は自ら、向こうの世界に逝ってしまいました。
これは現実なのだろうか、、❔
冷たくなった主人と対面した時は、夢ではないだろうかと本気で思いました。
あまりの衝撃で感情がフリーズして泣く事も出来ませんでした。
これは現実なのだ、、、
無理矢理自覚するにつれ、
私のせいだ!私のせいだ!とリフレインしていました。
主人を生かしてあげる事ができませんでした。
心なし、微笑んで見えるその亡骸に向かって、自分自身の無力さと後悔で、「ごめんね」としか言えませんでした。
反抗期だった子供たちは、泣きながら「パパごめん、パパごめん」と連呼していました。
どんなに声をかけてもパパは起きません。
パパとの生活は戻ってこないのです。
葬儀が終わり緊張感から解放されて主人の事だけを考えて過ごしました。
考えれば考えるほど、自分が主人を逝かせてしまったという自責の念と喪失感でますます感情が動かなくなりました。
食事もとれず、
眠る事も出来ません。
子供たちとの生活もあるので、メンタルの薬を服用してやり過ごしました。
仕事も休職しました。
入院させなければ良かったのではないか、、別の方法があったのではないだろうか、
そうしたら、主人は生きていたかもしれない。
自分ばかり責めていました。
私は主人のメンタルの変化に対して見極めが甘く判断が誤りがちでした。
主人が、「生きててもしょうがない、、」という希死念慮と思われる状態に対して逃げ腰になって、すぐに「入院」という選択をしてしまいました。
本人の意思を尊重せずに、、、
私は入院させれば、どうにかなるだろうと安直に考えてしまいました。
愚かでした。
うつ病や双極性障害が重症化すると、希死念慮や、自殺念慮、に、取り憑かれる事があります。
希死念慮→自殺念慮は段階がありますが、症状が重くなるとゾーンに入ってしまい、死ぬしかない!と思ってしまいます。
ここまでくると、家族の愛情や、励ましとか通用しません。
生きたい思いと相反して、死ねば楽になる、死ぬしかない、という思いに満たされてしまいます。
これは病気がさせている事なので、病気によって死んでしまったと言っても過言ではないかもしれません。
「自死は悪い事」と言われますが、この病気で亡くなった人には気の毒な言葉だと思います。
主人の場合は病気によって自死せざるなかった、、
病死だと思っています。
そして思うのです。
本当に辛かっただろうなぁって、、
生きたかったのに、生きる選択を選べなかった、、
パパの苦しみ、、、哀しみは、、
とても深かったと