人生で起こる事すべてに意味がある
主人が逝ってからの事に時間を戻します。
主人は自死により向こうの世界に行ってしまいました。
主人が逝ってしばらくは、ひたすら、ぼーと過ごしていました。仕事を休職したので、子供たちを送り出したら何もしないで自分を休めていたように思います。
体は休めても頭の中はグルグルと色々な事を考えてしまい、しばらく倦怠感をまとっていました。
朝にはお坊さんにすすめられた般若心経と光明真言を唱えて主人の成仏を祈りました。
主人のために唱えたお経ですが、いつの間にか自分が落ち着くために唱えていたように思います。
しばらくはふわふわと現実感がなく、心が落ち着かなくて、
#自死遺族#のTwitterを覗いたり、ネット検索したり、色々な本をむさぼり読みました。
宗教本、スピリチュアル、自己啓発、死後世界等、自分にしっくりくる言葉を探していたように思います。
自分で気に入った言葉は紙に書いて、常に目に見えるところに貼って、自分を励ましていました。
「道元、禅の言葉」では、(境野勝悟著)
『変化を恐れない』 『見方を変える』
『理屈から離れてみる』 『一歩引いて見つめる』
『今に満足する』 『まわりのすべてに感謝する』
『自分の気づきを大切にする』
等々、自分の心に響く言葉を白紙に書いて貼っていました。
ある書籍の一節の
幸運に見える出来事だけでなく、不運に見える出来事も含め大いなる何かの導きである。
人生で起こる事すべてに深い意味がある。
という言葉にも救われました。
田坂広志著 『すべては導かれている』
人生のどんな出来事に対しても、この出来事は深い意味がある、
これは何かの導きなのだ!と覚悟を定めると、不安や恐怖から解き放たれるのだそうです。
この苦労やこの不幸が自分に何を教えようとしているのか、、
それを感じ取る解釈力が大切なのだそうです。
私は、自分の不運や苦しみには、大きな意味があって、この苦しみが私に何を育てようとしているのか、それを感じ取って私が見方を変えて生きていかなくてはならないと、、、
きれいごとではなく、そう思えてきました。
悲観しないように生きようと思いました。
この不幸と思える出来事、苦労、苦しみを無駄にしないよう丁寧に生きて行く事で、
主人の魂が安らぎ、そして自分が強くなれるのではないか、、
そう思えて、
少しだけ前を向けたのです。
何か気づきにも似たような、
それからはだんだんと自然と笑顔も出せるようになってきました。
すべては導かれている、、、
なんとなく強くなれました。