のんびり母さんの波瀾万丈記

カラッと明るく!

向こうの世界に逝かせてしまった

半年前までは、元気で2人でしょっちゅう食べ歩きをしていたのに、コロナ禍が進み閉鎖的な社会になってからは、彼自身の不安感がどんどん強くなってきました。

 

ふさぎがちになって外出する事もしなくなりました。

 

なので、彼の好きなスイーツを買って帰り、よく2人で食べていました。

 

私が帰ると安心して「このタルト美味しいね」とか嬉しそう食べてくれました。

 

病院の薬は強めのものを処方してもらい、早めに寝てもらいました。

 

 

しかし、異変が夜中に起こりました。

 

 

 

夜中に誰かと喋っているのです。

 

半分寝ているのでもつれたような口調で、延々と誰かと喋っています。

 

寝言とは明らかに違い、会話をしているのです。

時には、喋りながら、声が大きくなって助けてくれ、助けてくれ、と叫びます。

私が頬を叩いて彼を起こすと、びっくりしたように起きて怖かった、、と言って汗をかいています。

 

 

主人も怖かったと思いますが側で見ている私には

彼の近くに、見えない世界の誰かが来ていて、連れて行ってしまうような、なんとも言えない、不吉な感じがして怖かったです。

 

部屋の四隅に塩を置いて、思いつくお経や真言を唱えて、パパを連れて行かないでー!

と祈っていました。

 

しかし、彼は向こうの世界の人からしっかり、腕をつかまれて引っ張られているような感じがしました。

 

コロナ禍が深刻になり社会全体が不穏な中、主人は些細な事で不安定になり、生きていてもしょうがない、自分が死んだらこのファイルに大事なものが入っているから、と不吉なことばかり言うようになりました。

 

時にはベルトを首に巻いたり、包丁を自分に向けたりして、私をハラハラさせました。 

 

私は、

 

彼を1人にはさせておけないと思い、医師に紹介状を書いてもらい入院施設のある病院に強制的に入院させる事にしました。

 

彼は入院することは本意ではなく拒みましたが、私が半ば強引に入院してもらいました。

 

しかし、、

 

 

よかれと思って入院させた事が、さらに彼に考える時間を与え、彼の心を死に向かわせてしまいました。

病院では落ち着いて、入院の必要性がないと判断されて紹介状では3ヶ月の入院予定が2週間で退院となりました。

 

退院して実家に戻り2日後に実家近くの川で1人で逝ってしまいました。

 

見えない世界に連れて行かれてしまいました。

 

1人にさせてはいけなかった。

 

一緒にいれば良かったと思いました。

 

後悔と哀しみで私は崩れ落ちしてしまいました。

 

#自死遺族#双極性障害#躁うつ#コロナ

 

廃人のようになっていきました。

今日は台風の影響で気圧も低くなんとなくメンタルも落ち気味です。


こんな時はどこにも出かけず家でぼーと過ごします。


今日は祝日で仕事が休みで良かったです㊗️


ぼーと過ごしながら、主人はいまどこにいるのかな、あちらの世界では心が軽やかでいるのかな、と案じてしまいます。
※亡くなった後は、霊媒師や、ミディアムなど故人交信を何度かさせて頂き、驚きと感動と癒しをもらったのですがその事は後の章で書きたいと思います。



主人は、メンタルの振り幅が大きすぎていつも大波小波が寄せては返し、いつメンタルの台風🌀がきてもおかしくない空気感が家の中ににはありました。

別居したものの、主人を1人にしておくのが心配で犬も飼える用に3度目の住宅の買い替えをしました。
そして再び一緒に住む事になりました。
(散財しました)


でも、


いつも家族の心は穏やかではありませんでした。





自死する半年前くらいから躁と鬱を繰り返すようになっていました。



バイト先の同僚とトラブルになって仕事を辞めたり、あちこちにクレーム飛ばしたりテンション高めの期間が比較的長かったのですが、コロナ禍になってから一気に気分がふさぎがちになっていきました。

体がだるい、何もしたくない、気持ちが焦る、、、と言ってぐったりしてる事が多くなっていきました。



なのに、




前々から予約していた北海道旅行は止めるのも聞かず鬱の状態で行ってしまいました🛩🛩、、、❔



主人が北海道旅行に行った丁度その頃、北海道は感染者が多く色々な規制をされていました。

観光地は閉店も多くほとんど観光客はいませんでした。



気分転換で来たはずなのに、



閑散とした広い道南の地で主人は不安感に襲われました。
予定より1日早く切り上げて帰ってきてしまいました。

彼は、北海道でも修道院に寄ってそこで大きな十字架を買ってきました。



その十字架を胸に抱いてベッドに入る事が多くなりました。






北海道から帰ってからは、更に鬱が加速してリビングでぼんやり過ごす事が多くなりました。

仕事も辞めたので日がな一日、ずーと、うつろな顔で椅子にもたれて過ごしていました。



風呂に入らず、食事もとらず、眠らない日も、、、



まるで廃人でした、、、



子供たちは学校、私は仕事、主人だけが家にいるので、
鬱状態の主人を1人家に置いておく事が
不安でした。



私は仕事が手につきません。



疲れも溜まっていました。




うっとおしいような、どうしてこうもいつも主人に振り回されるのだろうか
この苦しみはいつまで続くのだろうかと、、、


非情な感情も生まれていました。


私の心の内を読み取ったのか、


そのうち主人の口から、生きていて良いのだろうか、生きてる意味がわからないと言う言葉が出るようになっていました。


#自死遺族#双極性障害#躁うつ

切れた十字架のネックレス

主人と別居してからは、私の生活も変わりました。

すべて主人に合わせていた生活から一変、見たいTVやビデオをゆっくり見れるようになりました。

推しのアーティストも出来てライブに行く事もできました。


自分の時間が出来る事に充足感を覚えました。


 自分の時間、大切です。




主人は主人で、一人で国内旅行に行く事が増えました。

元々歴史が好きで、特に戦争については異常なほど傾倒していて戦争博物館のある地方を訪ね歩く旅をするようになりました。

戦争については、なぜ戦争は起きるのか常に考えていたと思います。

特に、特攻隊や人間魚雷など、突撃すれば確実に命を落とす兵器に乗って散っていった若者たちの心に寄り添って涙を流す事もありました。

誰よりも「死者」たちの命の重さについて考えていたと思います。

戦争で命を落とした人々の悲しみに心を寄せすぎて偏りすぎる危うさも感じていました。

今、主人が生きていたら、ロシアとウクライナの戦争をどう感じたでしょう。




旅行に行くと必ず特産品をお土産に買ってきてくれました。

ある時、長崎に旅行に行って私に十字架を買ってきてくれました。

修道院に寄って購入したらしく、チェーンが全部ローズクォーツで出来ている素敵な十字架でした✨✨

とても嬉しかったのを覚えています。

修道院には、ただ立ち寄ったのか、何か思う事あって立ち寄ったのか、わかりません。

1人になって、考える事があったのかと思います。

もらった十字架のネックレスを早速つけてみました。

しかし、


何もしないのに、つけた途端ヒュルヒュルと落ちてしまいました( ; ; )

金具が切れてしまいました。


何か不穏な事が起きるような予感がしました。

この時の予感は悲しいかな、当たったと思います。

#自死遺族#双極性障害

悩み抜いて別居したものの、

主人の感情の波が激しく、明らかにおかしい状態でも、彼を納得させる術がありませんでした。

口も達者で、実母から定期的にお小遣いをもらうようになってからは金遣いが荒くなり、小さな店が出せるくらい釣り具の新品のルアーやリール等々家に溢れていました。

ベランダにコンテナを取りつけてその中に買った物を保管していました。

高級な靴、

家電製品等々、

何点も買ってしまっていました。

しまいに犬も購入してしまいました🐕


面倒は全て私任せ( ; ; )


気分の良い時に犬と遊んでいました。


完全に買い物依存状態です。


幼い時は私たちの言うことを聞いていた子供たちも中高になって思春期反抗期になって思い通りに動いてはくれません。

子供は所有物ではありませんから当然のことです。

尊大になった彼は、思い通りにならない子供たちに腹を立て、子供は管理させるべきだ!強制的に手伝いやらせろ!といって子供たちの予定関係なく縛り付けるようになりました。

子供たちは思うように動く訳もなく、どんどん主人を嫌悪するようになり大きな溝が出来てきました。

そのうち、大声を出して歌う、掃除機を何時間もかけ続ける、大音量で音楽をかけるなど、不快な行動が増えていきました。

中3と高3の受験期を迎えている子供たちは限界に来ていました。

どうにかしなくては、
どうしたら良いのだろうか、
悩みに悩み、

もう限界でした。

私から別居を提案して、別居してもらうことにしました。

私が契約者になって、部屋を借りてそこに引っ越してもらいました。

主人は不本意だったと思いますが、私たち家族は別居した事で、やっと平穏な生活に戻ってほっと安堵していました。

子供たちも、静かな環境で受験勉強に専念する事が出来ました。

私は週1か週2の割合で主人の所に行って一緒に食事したり、時に一緒に遊びに出かけたりして過ごしていました。

主人が普通に穏やかにしていると安心で、2人で一緒に笑い合える事だけで感謝したくなるようなそんな気持ちになっていました。

ほどほどの距離間が2人の関係性を良くしてくれたと思います。


ただ、主人を1人にさせておく事に一抹の不安をぬぐい切れませんでした。


もしも変な気を起こして

死んじゃったらどうしよう、、

そんな気持ちが心の奥で渦巻いていました。


#自死遺族#双極性障害

躁が加速するのを止められなかった私

うつ病が落ち着いて安心していた頃、

「向かいの部屋に暴力団がいる」とか「家の中を覗かれている」と言い出し毎日カーテンの開け閉めを口うるさく注意するようになってきました。

私達は、食事やイベントなど2人で出かける事も多く友達夫婦で楽しく過ごしていました。

2人の時は本当に穏やかで楽しくて気も合って、私にとっては主人というよりも唯一無二の友達のような人でした。


しかし思わぬ所でスイッチが入っているのです。

初めは私の知らない所で、、、

次第に私の知る所で、、、


特にひどかったのはクレームです。

些細な事で、クレームつけて、かなりのお店や、会社の方々を困らせたかと思います。

ファーストフード店の対応が雑だとか、

ファミレスの飲み物と食べ物の順番や、店員の態度、(顔が笑っているとか)、順番を飛ばされたとか

病院の受付の態度が悪い、

家のマンションにおいては何も問題がないのに、

家の床が傾いている、

家の柱が曲がっている等々、

不動産会社や下請けの会社などに延々とクレームをつけて解決のつかない事にも難癖をつけていました。

会社の責任者の方が菓子折りを持って説明をしにくる事が何度かありました。


たちの悪いクレーマーです。


私が接客の仕事をしているので、これを自分がされる側になったら、絶対メンタル崩壊するだろうなと思うほどの破壊的な言葉で傷つけていました。

本当に多くのお店や会社や業者の方々にご迷惑をおかけして申し訳なかったと思います。

クレームを辞めてほしいと何度も何度も言いましたが、聞く耳は持ってもらえませんでした。

穏やかな時と激情的な時の落差が激しく、私の注意にも辛辣な言葉で言い返し私をも傷つける事が増えて一緒に暮らせないかもと思う事がありました。


私は主人が通っていた心療内科に1人で相談に行きました。

主人の変化を話すと、主人の症状は双極性障害2型であると言われました。

長年うつ病を患っている方が、次第に双極性に移行する事はよくある事のようです。

自分では気がつかなくて家族が気になってわかる事が多いそうです。


この病気では、
家族の人がとても苦しむ、
家族の会もあるから利用してみてはどうか、と言われました。


結局利用することはしませんでしたが


私だけが1人で悩み苦しみ、当の本人は
「自分は神だ」と豪語することもあるくらい尊大になって、取り付く島がありませんでした。


パパおかしいよ、、病気だよ、
躁うつだよ、
今度一緒に病院に行こうよ、

と言っても彼には響いていませんでした。


気が大きくなって尊大になっている今の状態が彼にとっては気分が良いので自分が病気(躁うつ)であるなんてみじんも感じないのです。

彼はどんどん加速していきました。

#自死遺族#双極性障害

気付けなかった躁の入り口

たまたま見ていたテレビのニュースで「今日のニュースランキング」が目にとまりました。

 

芸能人や、気象、政治、コロナ等の話題を抑えて第1位がママ友に洗脳されて我が子を衰弱死させてしまった母親の裁判のことでした。

 

ママ友に洗脳って、どうしたらそんな深い付き合いに発展するのだろうか、

どうしてそこまで相手を信用出来るのだろうか、、と人の心の不思議さをしみじみと感じました。

 

しかし、自分は大丈夫!と思っていても、自分の心も自分では確証できない危うさがあります。

後から考えると、どうして?どうして? と 過去の自分に問いかけたいくらい、謝った判断や、行動、見落としがあるものです。

 

 

私の最大のミスは主人が明るく行動的になったことを病気(うつ病) が治った!と思ってしまったことです。

 

今でこそ、長年の経験とメンタルヘルスを学んだことで身にについた知識があるのでわかることですが、当時は元気な主人を見て何も疑わず安堵していました。

 

もともとユーモアがあって楽しい人でしたが、ますます冗談に磨きがかかり、私には何か吹っ切れたような明るさに見えました。

 

無理していた仕事をやめたことですべての嫌なことから解き放たれたのかな、、と思っていました。

 

良かったと思いました。

 

学校の保護者とはすぐに仲良くなるし、何より行動的になりました。

 

大型バイクの免許をとってツーリング、海外旅行、ロードバイク、海釣り等々、多趣味になってきました。

 

あらゆる面で陽キャになってアクティブでした。

 

 

ただ、毒舌が過ぎたり、話が脱線したり、おしゃべり過ぎるのが気になってきました。

 

 

年のせいだろうか、、まぁ元気だしいっか! そんな感じです💦

 

 

 

 

ある日の夕方カーテンが閉まってないのを見て、ひどく私をとがめました。

 

「なんでカーテンを閉めてないんだ!早く閉めろ!狙われている!」

 

「向かいの部屋には暴力団がいる!」と、、??

 

何を根拠に、、?

 

「大丈夫だよ~!」なんて言おうものなら目つきがキッ!😠となって明らかに形相が変わっていました。

 

今までの明るさから一変、、?

 

 

なんかおかしい、、?

 

 

これが躁の症状だなんて私はまだ気付いていませんでした。

 

 

普通と普通でない境界線

「ふつう」の定義は曖昧で、明確な答えを見出す事は難しいと思います。

「普通と普通じゃない」「正常と異常」の境界線がよくわからない私でした。

今もわからないのですが、

思えば私は、人一倍「ふつう」にこだわってきたように思います。

学校の成績も平均点にこだわり、学校ではうるさ過ぎず静か過ぎず、あまり目立たないように意識してて、いわゆる普通のいい子だったと思います。

適齢期になったら、穏やかで優しい人と結婚して平凡な生活を送りたいと思っていました。

主人とは同じ会社の研修で出会いました。価値観や笑いのツボが一緒でよく笑い合えました。

普通の優しい人でした。

自然と結婚の話が進み一緒になったわけですが、結婚前に同棲していたらおそらく結婚はしてはいなかったと思ってしまいます。

結婚当初、掃除機をかけてくれた主人にあれ❓❓と思いました。

たった3部屋なのに、同じ所を何度も何度も掃除機をガーガーかけ続け2時間以上かけてやっと終わりました。

潔癖症❓綺麗好き❓

それともこれくらい掃除機するのが普通なのかな、、と頭の中が❓❓となりました。

私なら、さっさと終わる掃除に2時間もかけてる。(すごっ!)

時には4時間くらい掃除機をかけ続ける時もありました。

しかも掃除機をかける時間帯が夜中の2時や3時になんて事も、、、💦
延々と、、、

こんなきれいな部屋のいったいどこが汚れているの?

優しくて面白い人だけど、

掃除機かける時は異常でした。

せっかくやってくれてるのに文句を言えませんでした。

ケンカになると思うと何も言えませんでした。

やりすぎだよって、

平和主義すぎの私は我慢し続ける事になりました。


「この人、どこかおかしい」かも、、


私が基準とする「ふつう」からかけ離れていました。

これはほんの序奏にすぎませんでした。

そしてこれから先に、色々な普通ではない事が待っていました。

もっともっと普通でない事が、

その頃はこの先何があるのだろうと、漠然とした不安を感じながら、

「普通なのか普通でないのかよくわからない」生活をスタートをさせていました。